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まえだ治療院(兵庫県加古川市の整体院)

日本精神医学の歴史⑥「武家政権・医療の変化・芸能文化」

みなさん、こんにちは、私です。

maedaaaclinic.hatenablog.com

の続きになります。

 

中国からもたらされた仏教、医療、社会制度に習い、

日本は独自の発展をしていく。

 

時代は平安時代

丹波康頼(912-995)が多くの中国医書類をまとめ

「醫心方(いしんほう)」(984)を編集します。

精神疾患については「巻三風病篇」で

驚悸(動悸)・言語錯乱・癲病・狂病を取り上げ、

風邪(ふうじゃ)による気血バランスの失調を原因とし、

症状別に漢方・鍼灸治療法が詳しく記述された。

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中国医書の「小品方」を引用して、

突然発狂した者には「一日中顔に冷水を注ぐ」とあり、

灌水療法も知られていた。

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平安中期から後期には国風文化が成熟し

やまい」や「物の怪」が絵巻物や物語に登場するようになった。

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物の怪の「もの」は妖鬼または霊魂、「け」は霊気・妖怪変化の気であり、

人や物の生き霊・死霊・鬼・天狗・木霊などの妖怪変化、人間の怨霊を意味し、

怨霊の祟りで生じる「病気そのもの」を指すようになったと推測されている。

 

症状は多彩で、現在の神経衰弱・ヒステリー発作や

恐怖観念を伴う精神病状態類似の特徴が記述されている。

 

武家政権の誕生

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武家政権の誕生により「医疾令」が定めていた地方の国医師制度は崩壊した。

国家鎮護の奈良仏教とは異なり、鎌倉仏教が庶民救済の新たな思想となった。

中国医術や漢方を学んだ医家が活躍し、僧医が僧侶と医師の分化に徐々に進行し、

漢方医学発展の原動力となった。

しかし鎌倉時代から病人や貧民に対する公的な救済策は皆無に等しくなっていく。

 

芸能文化

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平安時代には「もののけ」が文芸作品に登場したが、

この時代には「物狂(ものぐるい)」が能に登場するようになった。

狂気を取り上げた「隅田川」や「卒塔婆小町」などはよく知られた狂女物である。

多大なストレスにより誰にでも反応性の精神病状態が起こりうるという見方には、

根底に「狂」を心の動きとみる人間観が日本人にはあったからだと思われる。

 

一期一会の出会いが苦悩の表出(語り・物狂う)を可能にし、

やがて苦悩を自らの一部として引き受けていく筋立ては、

物狂いにおける人と人との関係性の重要性を示唆している。

 

こうした演目が時代の風雪に耐えてきたことは、

共感されやすい心理的反応としての「物狂」観が

現代まで通底している証ではないだろうか。 

 

【あわせて読んでね】精神医学の歴史シリーズ

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続く

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ではまた✋